今回は、「【画像】木原誠二の若い頃がイケメン!山口達也に似てるや女好きの反応も」と題して紹介していきます。
岸田首相の最側近である木原誠二内閣官房副長官。
そんな木原誠二氏ですが、若い頃がイケメンだったのだとか。
また元TOKIOの山口達也さんに非常に似ているとの声も挙げられておりますね。
下記で見ていきましょう。
【画像10選】木原誠二の若い頃!
2023年6月時点での日本の総理大臣である、岸田首相の最側近である木原誠二氏。
そんな若い頃に注目が集まっているとのことです。
下記で画像にて紹介してきます。
幼少期
上記は木原誠二氏の幼少期の画像になります。
出身は、東京・渋谷区で、サラリーマンである父の仕事による影響で、生後9ヶ月頃から5歳までシカゴに暮らしていとのことです。
さらに、8歳の頃はアムステルダムで生活。
当時の海外生活はかなり孤独なもののように感じられます。
- 海外生活をする日本人が少ない
- 小学3年生の人数は5人
そのような生活を送る中で、1番の思い出は教会巡りだったとのことです。
さらに、木原誠二氏ですが英語がかなり堪能とのことで、幼少期の海外での生活が理由のようですね!
小学生
アムステルダムから日本に帰国した後は、小学5年生の頃から野球チームに入団し、野球を始められたとのことです。
角 盈男(すみ・みつお)選手、江川卓(えがわ・すぐる)選手を真似してきたとの声も挙げられています。
また、当時の野球のご経験から大人になったいまでも、
- バッティングセンターで130kgの速さのボールを打つことができる
- 90kg位の速さのボールを投げられる
と身体能力の高さが伺えますね。
中学生
中学高校時代は、私立武蔵中学校・高校へ通っていました。
この学校は制服・校則もなく、「自分で考える」を教育方針としており、一般の学校とは少し違って自由な学校だったとのことです。
学校に行くと休講があったりして。本当に自由な学校でしてね。
朝行くと休講板っていうのがあって先生が勝手に休講にしちゃったり。まあそういう学校で出欠も取りませんし。だからまあ自由にやらせてもらったかなーと思います。
当時のw陽ソードを上記のように語られていますね。
そして、部活動は野球ではなくテニス部と一変されたとのことですね。
また、さらにピアノが得意な中学・高校生活を送り、テニスとピアノを6年間継続されてきたとのことですね!
また、テニスに関しては出張など行かれた際にもホテルでできるということからもかなり好まれているご様子でした。
大学生時代は東大法学部
木原誠二さんの東大時代画像はこちら!
私立武蔵高校を卒業後、東京大学・法学部で政治を学びました。
中学高校時代よりも一層テニスに熱中する大学生活を送られたこともあり、キャプテンに就任。
- 東団体戦では準優勝
- 全国選抜ダブルストーナメントでは3位
と非常に素晴らしい成績を残されておりますね。
大学卒業後の大蔵省
社会人は大蔵省に入社されたとのことです。
東大卒業後、大蔵省に就職を決意したその理由は、祖母の「人の役に立ちなさい。」の一言がきっかけだそうで、初めて担当を任された証券局。
バブル崩壊をきっかけに資金繰りが厳しくなった、証券会社の破綻処理で、どこかご自身のやりたいことと少し違っていたのかもしれませんね。
2005年に政治家に
2005年の総選挙で、初当選を果たされました。
当選後は、厚生労働委員会で社会保障改革、内閣委員会で行財政改革に取り組みました。
特に、公務員制度改革については、英国大蔵省での勤務経験を活かし、先導的役割を果たしました。
拙著「英国大蔵省から見た日本」(2002年/文春新書)は、当時の公務員制度改革のバイブルともなったとのことで現在の活動にも少なからず糸を引いているのかもしれません。
現在は最側近
そして現在(2023年6月時点)では、岸田首相の最側近として、これまでの経験やご活躍を通じて多くの活動に貢献・寄与しています。
木原誠二のプロフィール
留学や様々な学生時代を経験して、現在の役所に疲れたことがわかりますね。
【比較画像】木原誠二と山口達也が似てる!
ここまで木原誠二氏についてまとめていきましたが、どうやら山口達也さんに似ているようなのです。
下記で反応など見ていきましょう。
上記のように、多くの反応を集めていますね。
実際に比較画像を見ていきましょう。
比較画像
見てわかる通り、非常に似ていらっしゃいますね。
目元やはなの形や、顔の輪郭などが似ているように感じられます。
コメント